「エモい」って、なんだい?

仕事中、何気なく部下に加工した写真を見せたところ、彼女はふわっと微笑みながらひと言。

「エモいですね」

えもい・・・。

なんとなく「エモーショナル」ってことかな?と脳内でカタカナ英語変換機を起動しつつ、少しだけ背伸びをして返してみました。

「ちょっとドギつい感じかな?」

すると彼女は、やんわりと否定。

「いえ、そんなことはありませんよ」

そこからの会話は──自然死。

たぶん、私がZ世代だったら「エモい」がDNAに組み込まれていて、即座に情緒の琴線を理解できたのでしょう。
だがしかし、私は昭和後期のプロダクト。アップデートのタイミングを逃したまま、今日も脳内OSのバージョンは古いままです。

いやはや、言葉ひとつでジェネレーションギャップが浮き彫りになるとは…。
その瞬間、私はひとつの真理にたどり着きました。

「エモい」は、感情より年齢に突き刺さる言葉であるということを。

ハクション大M王

ハ~~クション!!!

今日も事務所中にM部長のくしゃみ が轟き渡る。

心の準備ができていない1発目には心臓がビックリし、2発目は脳が苛立ちを覚え、3発目にはいよいよハリセンで頭をひっぱたきたくなるわけである。

これが家庭ならば、「オヤジうるせーな、少しは遠慮しろよ!」と怒られるところだが、一応”部長”を名乗る方なので、堪えているワケだ。

ところで、このM部長にはもう1つ悪癖がある。それは、事務所中に響き渡る音でカップ麺を啜ることだ。

部長ともあろう方が、毎日欠かさずカップ麺をズバズバ啜る姿を想像してみてほしい。

何もカップ麺を食べるなと言っているわけではない。クシャミもカップ麺も音量に気を配ってほしいのだ。

M部長の仕事といえば、部下であるK女帝の指示に「なるほどね、貴方のおっしゃるとおり」と首を振ることと、奇異な課長とS万年係長にY専務からの指示を1字1句違わずに伝言すること。それ以外は趣味の旅行と自転車のネットサーフィンに勤しむ毎日である。

窓際族を眺めると、今日もため息が出るばかり。

えっと、エッセイとか言ってオジサマ達の大悪口大会になってるなと気づいたので、これくらいにしときましょう😅

パチンという名の交響曲

パチン パチン パチン

今日も今日とて、甲高い音が静かな事務所に響く。
奏者はOさん、年齢64歳。ベテラン中のベテラン社員だが、演奏の評価はイマイチ。

その手に握られているのは、名もなき小さな金属製の楽器――そう、爪切りである。


音出しの回数から逆算するに、1本の指で5回は奏でている様子。
普段の仕事っぷりからは想像できないほど、念入りかつ丁寧である。

このソロパートは不定期開催。気まぐれに幕を開ける。
「今日も始まったな」などと誰かが呟いたときには、眉間に皺を寄せた面々と目が合う。

筆者は思った。
「Oさん、今この現代において、事務所で爪を切るとは…修行の1つでもしているのだろうか」

同僚らにそれとなく聞いてみた。すると意見は一致。

「家で切るもんでしょ、爪って」
「てか、飛ぶじゃん、破片。フケツじゃない?」
「それよりなにより、音が心に刺さるのよ」

そうだ、爪の音は耳を刺すが、悪い意味で心にも刺さるのだ。
パチン=メンタル攻撃。じわじわと、だが確実に・・・。

だが私は悩んでいる。
これを注意すべきか、黙認すべきか――。

Oさんの爪はパチンの音と共に短くなっていくが、私のストレスは静かに溜まっていく。

ヤクルトレディ

「こんにちは、ヤクルトです。ご利用いかがでしょうか」

うちの事務所の“お得意様”はI次長。ただ、この次長というお方、出張と休暇を生きがいにしている節がありまして、なかなか定位置にいらっしゃらない。

ヤクルトレディはしばらく廊下でケータイを眺め、結局、次長が姿を現さないと、しょんぼりと踵を返すのです。その背中が「またご利用ください…」と小さくつぶやいているようで、毎度胸がギュウギュウに締め付けられる思いがします。

何しろ、ヤクルトは販売員さんが自腹で買い上げてから売るらしいじゃないですか。そんな事情を知ってしまうと、「例のストレスの緩和になると噂のヤツを一本ください」とお義理で買ってあげたくなるわけです。きっと、あのヤクルトレディも満面の笑みで「ありがとうございますぅ」なんて言ってくれるんだろうなと妄想・・・。これ、いつも未遂で終わるんですケドね。

それにしても最近はネット注文やら定期配送やら、便利な仕組みがいくらでもあるのに、昭和の頃からほとんど進化しないこの販売スタイル。

毎日のように繰り広げられるこの小さなドラマを目撃するたび、私の心はそっと悶々の種を蓄積していくのです。

エッセイについて

仕事はバタバタ、心は悶々、土日は野球のお手伝い・・・と、筆者には完全に休める時間がありません。

そんな中にあっても、やりたいことはいくつもありと、この性分にも困っています。


そのやりたいことの一つというのが、‘エッセイ’をしたためることです。


青二才の時分、ホームページに自身の恥を書き連ねていましたが、サイト閉鎖により閲覧できなくなってしまいました。


それらを最近の人工知能技術を駆使してリバイバルするとともに、新しい日々の出来事も残しておきたいと考えています。

ということで、「食事の記録」の傍ら、時おりエッセイも混ぜてみたいと思います。

お気に召すかどうかは貴方次第🫵

引き続き、お付き合いのほど宜しくお願い致します。