最近、長野の公園廃止の問題が話題になったが、少数派の意見により公園の利用が難しくなっている。
昔は難しいルールなんてなかった。朝はラジオ体操をやり、子供は隠れんぼや缶蹴りをし、自転車を覚え、壁当てをしながらキャッチボールをしたものだった。誰もが自由に使える場所、それが公園という場所であり、時代はそれを繰り返すものだと信じて疑わなかった。
少数派は、自分の子供や飼い犬に怪我をさせないよう、公園はこうあるべきだと管理者(行政)に訴える。これを受けた行政側は、自分達に責めが及ぶことを避けるため、あれやっちゃダメ、これやっちゃダメと、少数派の意見をそのままルール化するわけだ。
「事故が起こらないこと」が最も重要であることは論を待たないが、少数派の意見をそのまま採用することは、いかにも乱暴に過ぎると筆者は思っている。ボールが使用できるエリアを作る、子供、犬が遊ぶ場所を仕切る、時間で遊び場を区切るなど、やり方は色々あるはずなのだ。かつて我々が成長する過程で親しんだ公園の遊び方が、今ではすっかり通用しない時代になり、強い寂しさを覚えている。
「こんな時ばかり行政に訴えるそこの貴方!貴方達自身や自分の子供が小学生だった頃、野球やって遊んだでしょうよ!自転車にも乗っていたでしょうよ!!」
てか、なんだかクソめんどくさい日記になってきましたね…(殴)