~このメモは、筆者の将来のための備忘録です~
この日記でもたまに登場する坊主A。AとBのうちのAなので、長男である。その彼の半生について、このほど簡単にしたためておこうかという気分になった。
~保育園時代~
「今日は何食べたの」「忘れた」
「今日は何して遊んだの」「知らない」
「何食べようか」「何でもいい」
何を聞いても無気力な返事。自ら何がしたいという自発的な行動も見られず、好き・嫌い、楽しい・楽しくない、などの感情を表に出すのも苦手だった。子供だからそんなものだろうぐらいに思い、さほど気に留めないで過ごした。
~小・中学生時代~
母親のすゝめで、小学2年生から地元の少年野球チームに入った。卒団するまで、とうとう彼の積極的な姿を見ることはなかったが、親に引き連られるまま、なんとか最後まで続けた。やる気はないものの、6年時には投打でそこそこの成績を残すことができたため、父親は「この子は、勉学よりも野球の方で進む方がプラスになるに違いない」と考え、礼儀作法の指導も含め、当時強豪だった地元中学校の野球部に無理やり押し込んだ。が、前述の通りそもそも野球に積極的ではなかったこと、時に彼の中で整合性の取れない連帯責任とやらが肌に合わず、中二の春で野球部を辞め、挙句には学校まで行かなくなってしまった。このような事態を招き、本人の希望に耳を傾けなかったことに強く後悔したが、時すでに遅し。彼は貝の中に閉じこもってしまい、学校には行かないまま卒業した。
~高校生時代~
不登校だったことで、教えられた二つの驚きがある。一つは、行かなくても中学校は卒業できること、もう一つは、オール1という成績が現実に存在することだ。
Aは、高校に行きたいという希望は持っていたが、単位制高校の受験に失敗、フリースクールを二三校見学に行ったものの納得せず、結局、自分がインターネットで見つけた新しい通信制の高校に入学することとなった。好きな時間に動画の授業を受け、授業が終わる度に理解度テストを繰り返す。そのシステムが性に合っていたのか、年間で与えられた課題はとっとと片付け、年に10日ほどある登校日、試験日も欠かすことなく出席した。その結果、他の高校生同様3年間で卒業し、高校卒業の資格を得た。ちなみに、全日制高校の成績と比較できるものではないが、卒業時の成績は数学の「良」を除き、他の単位は全て「優」だった。この子に高校卒業の資格を与えてくれた学校と多様性が許される時代に感謝した。なお、3年の秋頃から大学進学のための勉強を自学で始めたが、無論、どこの大学にも合格するレベルには達せず、浪人する事となった。
~浪人生時代~
まずは、塾選び。集団学習の大手予備校は即却下。家庭教師は距離感が近すぎるということで、サンドイッチさんがキャラクターとなっている「授業をしない塾」選んだ。授業をしなくて本当に大丈夫なのかと不安になったが、件の後悔もあって以降、本人が希望するものをやらせたいと考えていたので、それを認め、毎月涙を流しながらせっせと大枚を払った。
そして、昨年9月。塾の進捗状況を聞いたところ、Aは突然嗚咽を発し、ごめんなさいと謝ってくるではないか。どうしたのか問いただしたところ、7月の途中から塾には行っていないという。理由は、一度休んでからズルズルと行きづらくなった、と。「どうして・・・」と声を発した後、頭から血がサーっと落ちていく感覚になり、全身の力が抜け、もはや怒る気にもなれなかった。泣き止まない本人も、この顛末を言い出せなかったことを悔やんでいる様子。しかし、ここで叱ったところで、過ぎた時間は取り戻せはしない。冷静になって、残された時間、塾でスケジューリングされたものを自学でやることを約束した。翌日、塾には退塾する手続きを取りに行き、「今後は、限られた時間を大切にしろ」ということだけ伝えた。11月までは参考書の繰り返しのインプット、12月から受験日までは数多くの過去問を解くということで、毎日の課題を細かく書き出し、取り組んだ。余談になるが、彼は模擬試験などのテストの類は過去に1度も受けたことがなく、すなわち自分の偏差値がどの程度なのかも知らない。今でも世の中にこんな受験生がいるのだろうかと思っている。
そして、2月。いよいよ本番。
初っ端に受けた学校では、国語、英語+選択科目があり、選択科目は日本史、世界史、地理、数学の中から一つ選ぶというもの。Aは、歴史を全部解いたものの全く自信がなく、地理の問題を覗いたら、こっちの方が案外イケるかも?と、歴史の解答を全部消し、残りの20分、地理で挑んできたという。1分たりとも勉強したことの無い地理を選択したと聞いたときには、開いた口が塞がらなかった。その後も複数校受けたが、どこもよく出来たという感触は得られず、これは二郎ならぬ二浪確定だなとガックリ肩を落としたのだった。
そして結果。
地理で受けた大学は、本人の自信どおり合格。残念ながら本命校からはお呼びがかからなかったが、複数の大学から合格通知が届き、喜んだ。入試の約20日間、胃がキリキリして悶々の精神状況だったが、とにもかくにも彼を受け入れてくれる学校があってホッとしている。筆者としてはこの経験を経て、小中高大とガチンコで入試と戦っている親の気持ちが少しだけ分かった気がした。
ということで、4月から晴れてAは大学生になることができたわけ。中学から不登校となり、本人も家族も常に悩みを抱えていたが、ようやく長いトンネルの出口から一歩抜け出そうとしている。正直、こんなAのことなので手放しに喜んでもいられないが、4年間、青春を楽しみながら、将来の目標を定め、それに向かって前に進んで行くことを心から願っている。この子の親として、その応援は惜しまないつもりだ。
2022年3月